紅茶・茶葉用語

紅茶

紅茶の種類と茶葉用語

アッサム(Assam)

アッサム(Assam) インドの北東部にある州の名前。インドの紅茶の生産量の約半分を占める大産地。狭義では北野ヒマラヤ山脈、南東のナガ山脈に囲まれたブラマプトラ河の流域、いわゆるアッサム渓谷のみをいう。アッサムの中心になる都市はゴハティーで、オークションが開かれている。大茶園は約250kmさかのぼったジョルはっとか、さらに100km飛んだディブルガールまでいかなければみられない。アッサム渓谷には7地域、616のエステート、20マンhaに近い茶園が存在委し、35万t前後の紅茶が生産されている。標高はディブルガールでも110mしかなく、茶園は50~500mの平地に栽培され、日陰樹[ヒインジュ]や排水溝など、独特の風景が見られる。気候的には亜熱帯モンスーン地域で、11月後半から3月初めまでは低温と乾燥のため茶の休眠期となる。しかし降霜の心配はない。5~6月は気温と日商に恵まれ、高品質で収量も多い。そのあと南西の季節風による雨期に入り、世界的にも最高水準の雨量が記録される。この他アッサム州には南部サーマ渓谷のかちゃーる地区に約93のエステート、3万5,000haの茶園があり、地元消費用の製品をつくっている。アッサムの茶園の視察は、トクライの茶業試験場もあるジョルハットが最適。アッサムへ外国人が入境するには、事前に許可証の入手を要する時もあった。アッサム民族とビルマ山岳民族、あるいはバングラデッシュがら侵入するベンガル民族との紛争が絶えないことによる。

アップルティー(apple tea)

アップルティー(apple tea) リンゴ香料で着香した紅茶。もしくは浸出時に生のリンゴ果片や果皮を浸し、香りをつけた紅茶。<つくり方:生のリンゴを使う場合>①リンゴを皮つきのまま縦4つに切り、さらにいちょう形にスライスする。1杯分につき2~3切れを茶葉と一緒にポットに入れて、通常通りに浸出する。②カップにリンゴ1~2切れを入れておき、上から紅茶を注ぐ。

アナイスカップオブティー(a nice cup of tea)

アナイスカップオブティー(a nice cup of tea) イギリス人の好む表現で、心のこもった、おいしい紅茶のこと。日本的にこれを説明すれば、まずティーカップに注いだ茶液の色が明るく澄んだ澄紅色で、優雅で強い芳香が立ち、口に含んで適度の渋みとコク味のあるもの。ミルクを注げば、クリーミィーな褐色と光沢を呈し、おだやかな刺激性と甘みの強い香りのあるもの。それに、飲んだあとののど越しがよく、もう1杯欲しくなるもの、といったところである。ミルクを加え、カップ水色[スイショク]がグレイがかって見えるものや、黒味を帯びておるものは材料の茶葉の品質がよくないか、時間を経て変質したものであることが少なくない。

アフタヌーンティーブレイク(after noon tea-break)

アフタヌーンティーブレイク(after noon tea-break) 午後4時頃にとるティーブレイクのこと(同項参照)。日中につかれた心身をリフレッシュさせるためのお茶の時間で、一般的にはビスケットやショートブレッドを数枚口にしながら、カップルにたっぷり注いだミルクティーをすするのがイギリス流。むろん好みでパイやケーキなどを選ぶが、家庭や職場以外でも外出中でも商談中でも最寄りのディーショップやコーヒーショップ、パブなどで15~20分間のティーブレイクの時間をもつ。

アフタヌーンティールーム(Afternoon Tea Room)

アフタヌーンティールーム(Afternoon Tea Room) バッグやリビンググッズを扱う株式会社サザビーが、1981年より日本全国に展開しているティールーム。

アフタヌーンティー(afternoon tea)

アフタヌーンティー(afternoon tea) 客間で楽しむ午後のお茶の会(ティーパーティ)のこと。その期限はヨーロッパの王侯やブルジョア階級がサロンにつどい、茶を楽しんでいたことにさかのぼるが、儀式的な形式や心得などが完成したのは ヴィクトリア王朝(1837~1901年)からといわれる。当時のマナーではあ、紅茶は正しくいれるべきこと、食べ物は多種類を準備した豪華なものであるべきことの3原則があった。同時期にアフタヌーンティーの習慣は一般的にアフタヌーンティーの習慣は一般的にも普及していった。アフタヌーンティーの発端を物語るエピソードとして、1840年代に第7代ベッドフォード侯爵夫人のアンナが、昼食から夜8~9時の夕食までの間に空腹しのぎに始めた間食(紅茶とバター付きのパン)から普及した話が伝えられている。現在では、女王陛下主催の公式行事から一般家庭での社交のためのアフタヌーンティーまで、その形態はさまざまだが、たとえ茶菓が手作りのケーキが数種類のビスケットなど簡素なものであっても、正しく入れた紅茶と状態する側のもてなしの心と会話が最も重要である。

アフリカ紅茶(African black tea)

アフリカ紅茶(African black tea) アフリカの紅茶の歴史は、1887年に南アフリカ連邦東部のナタールにアッサム種が植えられた時に始まり4,420世紀に入ってから今の主産地に導入され、ヨーロッパのプランターがそれぞれの植民地にエステートをつくった。マラウイ1900年、ウガンダ1916年、タンザニア1920年、ケニア1925年、モザンビーク1935年といわれている。赤道に近い国はアッサム種を使ったCTC製法にほとんど移行した。戦前の生産量はマラウイ、次いでケニア、タンザニアの順だが、アフリカ全体でも3万tに満たなかった。アフリカ全体でも3万tに満たなかった。戦後ナショナリズムの高揚からインド、スリランカから多くプランターが移住し、大きく発展した。モザンビーク、ウガンダ、ブルンジ、ルワンダなども産地化したが、民族紛争の内乱により安定してない。現在は圧倒的にケニアの生産量が大きく、約20万t、2位のマラウイの4万t、3位タンザニア2万t、ザンビア、ウガンダが1万tと差が開いてしまった。したがってアフリカ紅茶のほとんどがケニア紅茶ということにもなる。周辺のマラウイ、ザンビア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジは品質的に類似しているが、管理能力などの差で平均して評価は低い。

アルゼンチン紅茶(Argentina black tea)

アルゼンチン紅茶(Argentina black tea) アルゼンチンは南アメリカ最大の茶産国である。北部のパラグアイ国境近くのミシヨネス集とコリエンテス州が主産地。1930年代にドイツ系のプランターが入植し、1950年代には約40万haの規模まで植付けが完了した。約1万の茶園と65の工場があり、1980年代半ばで生産能力は4万tを超えた。生産時期は10~4月まで。品種はアッサム種で、本来の品質は悪くないはずだが、硬葉[コウバ]にして機械摘採[テキサイ]するため、形状は偏平で軽く、水色[スイショク]は出るが香味は硬葉臭が強くて下級品。国内需要はほとんどなくアメリカ、に輸出、ティーバッグの増量材やインスタントティーの原料用に使われる。そのため生産はアメリカの市況に左右される。

アーモンドミルクティー(almond milk tea)

アーモンドミルクティー(almond milk tea) アーモンドで風味付けしたミルクティー。ナッツを利用(添加)したミルクティーのなかでも特にポピュラーなもの。<作り方:手鍋方式>①アーモンドスライスをローストしておく。②手鍋に牛乳と水を1:1の割合で入れて、火にかけ、沸騰直前に茶葉と①を入れ、火を止める。③蓋をして3~4分間蒸らす。④カップに注ぎ、生クリームとアーモンドスライスを飾る。

アーリーモーニングティー(early morning tea)

アーリーモーニングティー(early morning tea) 早朝起き抜けに飲む紅茶。ベッドティーともいう。イギリスではもともと召使いにやらせていたが、近代では夫が妻にサービスするようになった。朝食前の1敗は、目覚まし効果と水分の補給の意味がある。また、新陳代謝を活発にし、便通もよくなるところからよき習慣として勧められる。なかにはパンやバター、卵料理などと共に準備して、朝食としてしまう場合も少なくないようだ。

イギリスティーカウンシル(Tea Council Ltd.)

イギリスティーカウンシル(Tea Council Ltd.) イギリスでは紅茶の消費促進の宣伝活動を行っている組織。1965年の設立。インド、スリランカ、およびインドネシアのほかにケニアをはじめアフリカの生産国ど業界双方のバックアップによって積極的な活動を展開している。一方インドとスリランカはイギリスにおいて自国産茶の宣伝も同時に実施していて、同じ国で自国産茶の宣伝と一般共同宣伝とが平衡して行われるという特異な現象を示している。

イギリス東インド会社(Est India Company)

イギリス東インド会社(Est India Company) イギリス女王エリザベス1世の勅令により1600年に設立された特権会社で、女王の特権状により貿易や産業の独占が保証された。当時のイギリスは毛織物工業の発達で力を蓄え、ポルトガルを抑えてアジアに進出。しかしオランダ東インド会社との抗争に敗れてからは、インドに力を注ぎ、ついにその政治力、経済力、武力によってインド植民地を支配した。1877年にはヴィクトリア女王がインド女帝となり、インド帝国を築き上げるのに中心的役割を演じた。一方、当初から中国茶の貿易(輸入)は東インド会社の独占であり、会社がこれにより莫大な利益を得てきたが、1833年にはこの独占も終わりをつげ、自由競争の時代に入った。

イラム紅茶(Ilam tea)

イラム紅茶(Ilam tea) ネパール東北部、インドのダージリン、シッキムに隣接するネパールの主要産地の紅茶。なかでもカニアムで産する紅茶は、ダージリンティーに匹敵するマスカットフレーバーである紅茶。

イラン紅茶(Iranian black tea)

イラン紅茶(Iranian black tea) イランの喫茶の習慣は15世紀にはじまり、中国からシルクロードで経て輸入され、コーヒーに代わって多く飲まれるようになった。茶の栽培は19世紀まつに北西インドから苗が導入されたが、本格的に産業化されたのは1930年代初期からで、産地はカスピ海に沿った山間部と平野部の北緯37度付近。3万2,000haの茶園が主に小規模経営形態で散在し、生産時期は5~10月。所により冬は零下5℃程度になり、夏は雨量が少なく芽が伸びないところから、品種も寒さと乾燥に強い中国種に限定されている。STO(イラン紅茶組合)という国営組織の運営する100あまりの工場が生茶[ナマハ]をつくっている。生産量は約5万t程度、ほとんどオーソドックス製法であるが、CTC製法による紅茶も少量つくっている。すべて国内消費で、国際市場で通用する品質ではない。イランの国内需要は1万t弱、不足分は主に北インドのCTC紅茶とスリランカの低地産紅茶に頼っている。STOは茶園面積の拡大と灌漑[カンガイ]施設の完備により、夏場の生産向上をめざしている。一般的に中近東のアラブ諸国では形状を重視し、外観が黒い色の茶を好む。水が強度の硬水であるため、アクのある香味と黒ずんだ濃い水色[スイショク]の紅茶が適している。

イングリッシュブレックファスト(English breakfast)

イングリッシュブレックファスト(English breakfast) イギリス人の好みの紅茶で、主として朝食時に用いられるタイプのもの。古くは中国の安徽門で生産されたキーマン(き門)紅茶が理想的な覚醒効果をもち、ミルクを注げば、その芳香はあたかもパン焼きのオーブンから出てきたばかりのあつあつのトーストを連想させる(酸みの混じった、煙を含んだような)香味がある、というところから「ブレックファスト」と名付けられたとされる。頭の「イングリッシュ」はアメリカ人が名付けたもの。かつてアメリカがイギリスの植民地であった頃に、イギリス人たちが朝食に飲んでいた茶のことをアメリカ人たちが自分たちの茶と区別するために呼ぶようになってから生まれた。

インスタントティーミックス(instant tea mix)

インスタントティーミックス(instant tea mix) 特長的な香料や甘味料などを加えた粉末状の紅茶のこと。清涼飲料に属する。レモンティーやミルクティーなどの製品が市販されている。

インスタントティー(instant tea)

インスタントティー(instant tea) 茶の可溶成分を粉末にした商品。アメリカで1958年に発売され、1965年頃から市場に定着し、その後世界に普及した。西方により冷水可溶(CWS)と温水可溶(HWS)がある。生産地タイプ「生茶から直接つくる」もの、消費地タイプ「紅茶の製品からつくる」もの、乾燥の設備でスプレイ・ドライと凍結乾燥「freeze dry」さらに増量材としてデキストリンを半分程度加えたものと、茶成分のみのものなどと色々種類がある。

インディアティー(India Tea)

インディアティー(India Tea) 1985年創業の強との印度紅茶販売株式会社が、販売している紅茶のブランド。個人向けには会員制「ダージリンクラブ」による通信販売を行っている。

インドネシア紅茶(Indonesian black tea)

インドネシア紅茶(Indonesian black tea) オランダ東インド会社がジャワ島で茶の生産連合を試みたのは、インドと同じくらい古い。1835年に茶の種をまいたが失敗し、改めて1882年にセイロン(現在のスリランカ)からアッサム種を導入した。産業として確立したのは1890年になる。1933年の国際茶協会では、インド・スリランカに次ぐ紅茶生産国として、20%の輸出割当てを受けた。しかし日本の染料と独立戦争の混乱で茶園は荒廃し、本格的復興は1960年代後半から始まった。まず旧オランダ系のプランテーションを国営化し、PTP(インドネシア国営農園)という組織をつくり、管理、運営をすると共に、周辺農民の小規模茶園の造成も奨励した。茶園面積ではPTP農園と小農経営が共に約5万5,000haと拮抗してきたが、生産量で比較すると、PTPの工場で生茶[ナマハ]買いをしていることもあって、約13万tのうち8割をPTP産品が占めている。そのほか、私的農園3万haが存在し、2万tを生産している。これらは主として国内需要用で、中国茶系統の茶(緑茶、ジャスミン茶など)をつくっている。紅茶の輸出は約12万t。毎週1カイジャカルタでPTP主宰のオークションが開かれ、FOB(輸出港本船渡し)価格、USドルでの取引きがなされている。輸出先は特に片寄ることなく、世界中の消費国から買いが入っている。紅茶の産地は西武ジャワのバンドン周辺の丘陵地帯で生産されるジャワ茶と、スマトラ島メダンの南部タボ湖周辺のスマトラ茶に大別されるが、スマトラ茶は全国生産量の20%に満たない。収穫期は通年であるが、5~10月の乾期は品質が良くなるがやや生産量が落ちる。紅茶の製法はほとんどオーソドックス製法が主体であったがCTC製法も1986年から始まっている。スマトラ紅茶、ジャワ紅茶各項参照。

インド紅茶(Indian black tea)

インド紅茶(Indian black tea) 国が広く、いろいろな産地により異なる紅茶ができるので、一口に説明するのは困難であるが、インド紅茶はほかの紅茶出産国に比べると圧倒的に多く生産されている。国内需要の大衆茶は、CTC製法による形の小さな形状で、水色[スイショク]はどす黒く、アクの強い製品。強い硬水に負けず、また1杯あたりが安くつくことで好まれている。砂糖とミルクを多量に加え、必ずホットで飲んでいる。しかし、日本で、特に「インド紅茶」として販売されているのは高級品が多く、たとえばダージリンのFTGFOPI(ファイン・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー・1)、アッサムのTGFBOP(ティッピー・ゴールデン・フラワリー・ブロークン・オレンジ・ペコー)、ニルギリのBOPなど、オーソドックス製法によるクオリティーシーズンの特長を示した限定品が多い。アッサムのCTC紅茶も輸入されているが、ティーバック用にブレンドされており、単品で市場に出回ることは少ない。ダージリン、アッサム、ニルギリの各項参照。

ウイスキーティー(whisky tea)

ウイスキーティー(whisky tea) ウイスキーを少量加えて香りをつけた紅茶。ホットティーと混ぜることでよく広がる香りを楽しむ。<つくり方>①温めたカップにウイスキーをティースプーン1杯程度入れる。②ホットティーをつくり、①に注ぐ。③好みで砂糖を加える。※ウイスキーは、スコッチ、アイリッシュ、カナディアンなどのいずれでも可。バーボン、シングルモルトなど個性の強いものは避けた方がよい。

ウェッジウッド(Wedgwood)

ウェッジウッド(Wedgwood) イギリスの陶磁器ブランド。1759年、ジョサイア・ウェッジウッドによって創設。彼はソトーク・オン・トレントの陶工の13番目の子として生まれ、子供の時から陶業に親しんでいた。早くに親をなくすが、勤勉と努力によって、家内工業的であった焼き物づくりの仕事を、産業革命に合わせて近代的な産業に変え、イギリスの代表的な産業人となった。1765年、土地の伝統的陶器を研究改良することによって、クリーム色の美しい陶器に改良。シャルロッテ王妃より女王御用達として、ウイーンズウェアの名を与えられた。1769年、黒色バサルト陶器をつくり、次にはカメオ風のジャスパー陶器を開発した。そのギリシア風の白いレリーフで表現されたギフトウェアは有名である。息子のジョサイア2世によってボーンチャイナを開発し、イギリスばかりでなく、世界の高級品としてウェッジウッドの名を築いた。現在では名門コールポートチャイナ、ジョンソンブラザーズなどの会社を吸収し、ウェッジウッドグループをつくっているが、クリスタルガラス会社のウォーターフォード社によって買収され、ウォーターフォード・ウェッジウッド社となった。

ウェッジウッド・ティー(Wedgewood Tea) イギリスの名窯ウェッジウッドのブランド名を冠し、1991年に発売された紅茶。

ウガンダ紅茶(Uganda black tea)

ウガンダ紅茶(Uganda black tea) ウガンダは1962年にイギリスの植民地より独立した。その紅茶生産は1916年にイギリス系のプランターによって始まる。第2次大戦後、そのプランテーション経営で急速に発展し、1970年代初めには、約2万haの規模の紅茶生産国になり、2万tを越す生産が続いていた。しかし、70年代後半からの部族抗争による内乱で生産量は激減し、1980年には1,000t以下にまで落ちた。その後徐々に回復し1993年でやっと1万t台に復帰した。従って今は、イギリス系からインド系の農園と現地人の小農耕作に変化している。主産地は、ザイール国境のトロ高原で、南の高原地帯に広く分散している。ウガンダ紅茶は主にCTC製法であるが、古い設備のまま資金難などでCTC製法に転換できない工場もある。アッサム種独特の特長をもつが、最近の改良品種の成果が導入されていないことと、工場管理のばらつきからか、ケニア茶より評価は低い。大半がモンバサのオークションで売られ、そこから積み出される。

オリジンティー(origin tea)

オリジンティー(origin tea) 紅茶製品の呼称のひとつ。その紅茶が生産された地域の名をつけたものが多い。たとえば、インドの西ベンガル州にあるダージリン地区で生産されたダージリンティーや、スリランカの南東部ウバ州のハプタレやバドゥラ地区で生産されたウバティーなどをいう。

オーソドックス紅茶(orthodox tea)

 オーソドックス紅茶(orthodox tea) 通常の紅茶らしい形をしている紅茶、つまり茶殻に茶の葉の形が残っている品物を総称してオーソドックスと分類し、茶の形を残さないまで破砕してしまうCTC紅茶と対比させている。

オーチャードティー(orchard tea)

オーチャードティー(orchard tea) ホットティーにカットした種々のフルーツを浸し、フルーツの香りと味をつけたもの。かつてロンドンのティーカウンシルが初めて発表した時は、リンゴの果皮と果汁で風味をつけた紅茶であった。現在は「ポットフルーツティー」の別名とされることが多い。<つくり方>①ティーポットにカットした数種類のフルーツを入れる。②別のポットでいれたホットティーを①に注ぎ1~2分蒸らす。③カップに注ぎ分ける。※適するフルーツはオレンジ、イチゴ、リンゴ、キウイ、マスカットなど。

カフェインレス紅茶(caffeineless tea)

カフェインレス紅茶(caffeineless tea) カフェインを0.1%以下にまで抽出除去した紅茶。以前は有機溶剤を使用してつくっていたが、最近は超臨界法(強い気圧下で炭酸ガスを液体状にし、カフェインを除去する方法)が開発され、ドイツのメーカーが実用化している。

キーマン紅茶

キーマン紅茶 安徽省西南部、黄山山脈系に連なった江西省との省境近くで産する茶。中国紅茶類のなかでも世界中に知られる著名な茶で、中国を代表する名茶である。この地方一帯はもともと緑茶を生産していたが、1875年頃、福建省から余干臣という人が来て、工夫[コンフウ]紅茶の製法に習って生産を始めたという説とキーマンの人である胡元竜が1876年に紅茶工場を建設し、今までの紅茶製法を改造したという説がある。キーマンの温和な気候、豊富な雨量と雲霧などの自然環境に恵まれた書状お兼が紅茶づくりにプラスし、極上品質の紅茶を生産しうるようになり、やがてキーマン紅茶の名が内外に知られるようになった。中国紅茶ついを大きく分類すると、小種紅茶、分級紅茶、そして伝統的な工夫紅茶の3つに分けられる。キーマン紅茶はキーマン工夫あるいはキーマン烏龍とも呼ばれるように、工夫紅茶の伝統を守っている。そのルーツは武夷[ブイ]茶の製法から改良進化したものだといわれ、形は締まりよく、固くもまれて色は黒く、水色[スイショク]はあでやかな鮮紅色。香味はランの花の香り、あるいは甘いリンゴの香りがあるといわれ、芳醇で均整のとれた滋味がある。一般に滋味濃厚なインド紅茶の香りを補うため、香りの高いキーマン紅茶がブレンドされ、香りを引き立てているという。

ギャバロン茶

ギャバロン茶 摘採[テキサイ]した茶葉を一定時間嫌気的条件(窒素中)に置き、茶葉中のグルタミン酸脱炭酸酵素の働きでγ-アミノ酪酸を蓄積させる。その後、通常の製茶工程を施してつくられた茶をギャバロン茶という。ギャバロン茶中のγ-アミノ酪酸含有量は約200~250mg/100g程度である。グルタミン酸量は一番煎茶の4~5分の1程度になっており、血圧降下作用を示す茶である。

クオリティイーティー(quality tea)

クオリティイーティー(quality tea) 内容成分に富み、水色[スイショク]の濃い、コクのある、豊かな香味をもち、内容的に充実した紅茶を意味する言葉、広義には、高級品を意味する。

クリームティー(cream tea)

クリームティー(cream tea) イギリスで伝統的なティータイムにとられる典型的なメニュー。基本的にはミルクティーと焼き菓子のスコーンのセット。2~3杯分の紅茶をいれたティーポットの他に、ミルク、砂糖、それに熱湯入りのホットウォータージャグ、スコーン2個を皿にのせ、濃厚なクロッテッドクリームとジャムをサービスする。

グルジア紅茶(Georgia black tea)

グルジア紅茶(Georgia black tea) 旧ソビエト連邦のグルジア共和国の黒海とカスピ海の中間、カフカス山脈の南斜面に茶産地が形成されたのは、1928年開始の産業振興5ヶ年計画によるもので、中国、インドから種子を導入した。茶の生育の北限で中国種しか生育できず、生産時期は5~9月、トラクターによる機械摘採[テキサイ]と製茶機械も旧式なオーソドックス製法のため高品質は望めず、インドスリランカの紅茶と混ぜて用いられている。南接のアゼルバイシャン共和国、その他を含めた旧ソビエト連邦の茶園は、1985年には約8万ha、15万tの生産があったが、ソビエト連邦の崩壊とチェルノブイリ原発事故の影響を受けて、1994年には2万tまで落ちてしまっている。

ケニア紅茶(Kenya black tea)

ケニア紅茶(Kenya black tea) ケニアは、東アフリカ、インド用沿岸に位置する赤道直下にある共和国。北部は砂漠の広がる乾燥地帯、中西部には国土のわずか19%という農耕地があり、南部には海岸平野と高原が広がる。1903年にインドから紅茶の種子を輸入して茶園をつくったのが始まり。第一次大戦後、各地で試験栽培が実施され、ケリチョー、ナンディヒル、ソティック地方においてプランテーション開発のため、イギリス資本による大型投資が盛んになった。これに対抗して1950年代にケニア農業開発庁(Kenya Development of Agriculture)によって小農方式による試験栽培が行われた。1963年に独立後、KTDA(ケニア茶開発局)に発展したこの小農方式による栽培の成功が、ケニア茶産業最大の特色である。KTDAは小農経営者から生茶[ナマハ]を買い、直営工場で製造して輸出し、利益配当を生産者に分配している。1994年度の生産量は20万9,000tで、そのほとんどがCTC製法である。

ケーキスタンド(cake stand)

ケーキスタンド(cake stand) サンドイッチ、スコーンやマフィン、各種のケーキなどを盛り付けた皿を立体的に飾り付けて客に供するためのスタンド。かつては召使いたちが銀のトレー(盆)や当時のプレイト(皿)に盛り付けた菓子類を来客に説明しながらサービスしていたが、彼らが立ち去ってからほどなく追加の要求があった場合にっ不便が生じたので、茶会の開かれている室内に、トレーやプレイトをおいてから退室したことがケーキスタンドのたんじょうの期限ともいわれる。初期のケーキスタンドは木製、真ちゅうや銀製のものは後に登場してきた。2段もの、3段ものの他、種々のアイディア製品もあるが、空間にゆとりの少ない場合、限られた空間が立体的に有効活用でき、多様の菓子類を芽で実ながら楽しめることから、最近では改めて見直されつつある。

ケーキプレイト(cake plate)

ケーキプレイト(cake plate) ふつうはケーキをのせるための中皿をいう。日本茶の場合は銘々皿となる。カップソーサーと同じデザインが施されてセット化されたものが大部分である。

ザイール紅茶(Zaire black tea)

ザイール紅茶(Zaire black tea) アフリカ大陸中央の赤道直下に位置し、熱帯性気候のザイール茶栽培地は、北西から南西にかけての山岳地帯に集中している。最近の生産推定量は、年間約3,000tで、輸出は2,000t。

シェルパティー(Sherpa tea)

シェルパティー(Sherpa tea) 赤ワイン、ブドウと砂糖を入れた紅茶。シェルパ(ヒマラヤ登山の道案内役)が処方を伝えるもので、登山の途中で疲労回復に効果があるとされる。<つくり方>①マスカットなどの大き目の粒のブドウを用意し、1杯分1粒をスライスする。②ブドウを茶葉と一緒にポットに入れて、通常通りに浸出する。③カップにもスライスしたブドウと赤ワインを少しと、多めの砂糖を入れ、熱いホットティーを上から注ぐ。※ブドウの代わりにレモンを使ってもよい。

シギリヤ・メイドン紅茶(Sigiriya Meiden Tea)

シギリヤ・メイドン紅茶(Sigiriya Meiden Tea) スリランカの遺跡シギリヤロックに残る美人画にちなんで命名されたスリランカの紅茶ブランド。

シナモンティー(cinnamon tea)

シナモンティー(cinnamon tea) シナモンスティックまたはパウダーで香りをつけた紅茶。食欲を増進したり、口中を爽やかにするスパイスティーの代表格。<つくり方>①1人分にシナモンスティックを3~4cm程度砕くか、またはシナモンパウダーを1ふり茶葉に入れ、ふつうに浸出する。ストレートティーをカップに注ぎ、かき混ぜて香りをつけるためのシナモンスティック1本を添えて、サービスしてもよい。※ミルクティーに仕立てるのもよい。

スパイスティー(spiced tea) 香辛料と一緒に浸出した紅茶。広義には、シナモンティー、ジンジャーティー、カルダモンティー、クローブティーなどの総称。狭義にはシナモンとカルダモンおよび他のスパイスをミックスして浸出する紅茶で、「マサラティー」、「マサラチャイ」と同義。スパイスを効かせたインド料理と相性がよい。<つくり方>①1杯分につき水を半カップとカルダモン1個、クローブ2~3個、シナモンスティックかパウダーを少量、すべて手鍋に入れて1分弱煮る。②1杯分につき牛乳半カップを加えて、沸騰寸前まで加熱する。③茶こしを使って、カップに注ぎ分ける。

シャンティ(Shantei)

シャンティ(Shantei) インド各地の紅茶関連施設で研修を受け、1977年にインドティーボードより女性紅茶広報官として来日したシャンティスリ・ゴスワミがプロデュースし、1981年にジャパンビジネスサービス有限会社より発売されたブランド。

シュガーポット(sugar pot)

シュガーポット(sugar pot) 砂糖入れ。正式なティーセットは、ティーポット、シュガーポット、クリーマーの3点セットのバランスでつくられている。シュガーポットには蓋のあるものと蓋のないオープンシュガー入れがあり、スティックシュガーなどの場合には、蓋なしが使われる。ふつうは左右にハンドルがついているが、ハンドルのない場合もある。また蓋にシュガースプーン用の切り込み(ハンドルのための穴)がついている場合とついていない場合がある。

ジャスミンラクトン

ジャスミンラクトン 紅茶精油中から見出された香気成分。

ジャスミン茶

ジャスミン茶 中国には茶の葉に花の香りを添加した「花茶」がたくさんあって多彩だが、なかでも「茉莉花茶[マツリカチャ]」、つまりジャスミン茶はその代表である。花茶というとハーブティーとまぎらわしいが、正しくは花の香りを添加した茶を意味する「花香茶[カコウチャ]」の名称が妥当。茶葉に花が入っているので「花茶」と呼ばれているが、ややもすると玄米茶のような感触でもって花茶を断じるのは間違いである。茶の葉にブレンドされた花は、すでに花の香りを失ったカスなのである。花茶であるというしるしのようなものである。よい花茶ほど花の混入が少なく、下級花茶ほど白い花のブレンドが多い。ハーブティーや日本の桜茶などの花茶類と異なり、あくまでも茶そのものが主体であることを強調しておきたい。花茶には一般に緑茶類を原料として細かく仕上げ、花の香りが茶葉に移りやすいように特に原料茶をよく乾燥し、茶の味と花の香りの一体化を図り、茶の持ち味と香りを生かしながらいっそう高い香りの茶を得ることが目的。これらの花茶のなかでもジャスミン茶は「花茶のクイーン」といわれ、香気、人気とも高く、味の点でも濃く出るので、中国の花茶の全生産量の70%を占め、花茶といえばジャスミン茶を指すことになる。ジャスミンの花は2~3世紀の漢代にアラビア海岸地方から中国に入ったといわれ、茶に花の香りを添加したのは宋代末から元代にかけて試みられているから、花茶の歴史はかなり古い。明時代の顧元慶(1564~1637年)の『茶譜』と題する書物に、花茶の紹介が多く、そのなかにちょっとニュアンスは異なるが、今日のレモンティーの元祖ともいうべき茶のことが書かれている。これは花茶ではなく、コズの皮を細く糸状に切って茶に混ぜた変わり茶。福建省福州の花茶が有名。特に華北、東北(満州)の人々に愛飲されている。

ジャワ紅茶(Java black tea)

ジャワ紅茶(Java black tea) かつてオランダ植民地であったインドネシアのジャワ島は古くから、インド、セイロン(現在のスリランカ)に次ぐ紅茶の産地として、世界の紅茶市場の一角を占めていた。

太平洋戦争と独立運動の混乱で生産が落ちたが、オランダ植民地時代のプランテーションはPTP(インドネシア国営農園)という政府機関によって復興され、一方でケニアの組織に準じた紅茶の小農経営の奨励もなされている。

また、華僑系の茶園では中国式緑茶も生産されている。

紅茶園面積は戦前の13万8,000haに近づき、その8割はジャワ島にある。集団として産地形成されているのは、西部ジャワの山間部にあるバンドン市周辺の丘陵地帯。

ここのPTP傘下の製品は、ジャカルタで行われる毎週1回のオークションで売られ、世界各国に輸出されている。

品質は癖のないアッサム茶で、明るい水色[スイショク]と渋みの少ない軽い茶で、ブレンド用に適し、7~10月の乾期には香りの優れた製品も生産される。最近日本ではこの原茶を使った無糖飲料が売られている。

ジンジャーティー(ginger tea)

ジンジャーティー(ginger tea) ショウガのスライスもしくは粉(ジンジャーパウダー)で浸出時に香りをつけた紅茶。ショウガ事態でハーブティーにもなるように、風邪症状の緩和、健胃に効果がある。<つくり方>①硬貨大ぐらいの生のショウガのスライスを1杯分1~2枚、茶葉と一緒にポットに入れ、通常通りに浸出する。※生ショウガに代えてジンジャーパウダーを使うが、両方を同時に使ってもよい。※ミルクティーにも適する。セイロン風ミルクティーのように手鍋でつくるのが主流。

スコーン(scone)

スコーン(scone) イギリスの代表的なお茶うけ用焼き菓子のひとつ。発祥はスコットランド。スコーン 小麦粉・卵・バター・牛乳・ベーキングパウダーなどを混ぜて焼いた小型のパン状の焼き菓子。バター・ジャムなどとともに供される。

スチュアート博士のハーブティー(Dr.Stuart’s Botanical Tea)

スチュアート博士のハーブティー(Dr.Stuart’s Botanical Tea) イギリスのハーブティー会社である東インド会社が、1992年に販売を開始したハーブティーのブランド。国際的なハーブ学者として評価されているマルカム・スチュアート博士の直接の監督、指導を受けて開発したハーブティーで、添加物はいっさい使用しておらず、すべて天然の原料のみを使っている。

ストレートティー(straight tea)

ストレートティー(straight tea) 喫茶の楽しみ方のひとつで、紅茶液に砂糖やレモン、あるいはミルクなどの添加物をいっさい使用しないものをいう。中国の清飲[チンイン]にあたる。米国人は時おり「プレインティー」という表現を用いることがあるが、それは業界用語では、「下級紅茶」を意味する。また、「ブラックコーヒー」との対比から「ブラックティー」ということもあるが、それ自体は「乾燥した紅茶の葉」の意味をもつので、用語としては「ストレートティー」が正しい。

ストロベリーティー(Strawberry tea)

ストロベリーティー(Strawberry tea) イチゴ香料で着香した紅茶。もしくは浸出時に生のイチゴ果片を浸し、香りをつけた紅茶。<つくり方>①中粒のイチゴを1杯分2個用意し、1個はへたをつけたまま3枚にスライスしてカップに入れる。②もう1個のイチゴは、へたをとり、軽くつぶして茶葉と一緒にポットに入れて、ふつうに浸出する。③熱いホットティーをカップに注ぐ。※ミルクティー、アイスティー、アイスミルクティーのいずれにも適する。

スパークリングティー(sparkling tea)

スパークリングティー(sparkling tea) 炭酸水を加えたアイスティー。清涼感を強調した紅茶であり、アメリカ製の紅茶ドリンク製品にしばしばみられる。<つくり方>①オンザロックス方式で濃い目(1杯分の茶葉に80~100ccの熱湯)アイスティーをつくる。②アイスティーの上から炭酸水役50ccを注ぎ、かき混ぜる。③スライスしたレモンまたはオレンジと、あればチェリーを飾る。※炭酸水に代えてシャンパンを使うと、大人向けのシャンパンティーとなる。

スペアミント(spearmint)

スペアミント(spearmint) シソ科の多年草。学名Mentha spicata。原産地はオランダ。和名はオランダハッカ、ミドリハッカ。葉を利用。メントール、カルボン、リモネン、ビタミンA、タンニンの成分を含み、消化、強壮、消毒の効果がある。青臭い系統のミントで、香りが強く欧米で好まれる。菓子類、化粧品、医薬品、入浴剤、料理などに利用する。

スペシャリティーティー(speciality tea)

スペシャリティーティー(speciality tea) 日常習慣的に飲むオーディナリーティー(ordinary tea)に対して、来客接待、パーティー、ギフトなど特別な機械に使用するにふさわしい紅茶製品のこと。

スリランカ紅茶協議会(Sri Lanka Tea Board)

スリランカ紅茶協議会(Sri Lanka Tea Board) 略してSLTB。1976年にスリランカティーボード法の下に設立された。将来はスリランカ紅茶省を格上げする計画であった。茶の栽培から生産、マーケティング、輸出されるまでの茶産業に属する多くの団体にも関与できるようになっている。設立の主目的はスリランカの茶産業の発展を促進すること。現在も茶産業のさまざまな活動を調整し、責任と権威ある協会。協会はスリランカ産のセイロン紅茶が輸出される辞典で課せられる税金(セス)によって財務が運営されている。

セイロン茶業試験場(Tea Research Institute of Ceylon)

セイロン茶業試験場(Tea Research Institute of Ceylon) 略してTRI。1889年、セイロン国内の茶生産地の土壌について、茶の栽培と生産の科学的解明など、さらには紅茶や紅茶文化に関しての諸問題を積極的に研究しようという目的で、化学博士のM.K.バンバー(Bamber)が指名された。彼の広範囲な研究は1冊の本となって成果が表れた。その本の題名は『茶の科学教本―その生育と製造(A Text Book on the Chemistry og Tea, it’s Growth and Manufacture)』である。農学士の視点でさまざまな実験、研究が博士によって始められ、ペラデニアにある熱帯植物園の農芸学士たちによって継承された。しかし、その後、科学的調査のみならず、文化の問題も含めて完全に対応できる研究機関の設立が発案され、1923年11月、生産者組合の常任委員会に、R.G.クームによる茶業試験場設立の推薦状が提出された。1925年、条例が議会を通過し、設立の準備が始まった。研究費はセイロン茶の輸出総額に課せられた税収によってまかなわれている。しかし、歳入および予算は茶業全体の利益の0.23%にすぎない実情である。現在ディンブラ地区のタラワケレにセンターがあり、他に地域試験場が5ヵ所設置されている。

センテッドティー(scented tea)

センテッドティー(scented tea) 着香茶の項参照。

セントラルアッサム(Central Assam)

セントラルアッサム(Central Assam) シブサガルを中心としたアッサムの大茶園地帯を総称していう。アッサム開発の歴史からすれば、この辺りからはアッパーアッサムであり、開発当初はゴハティー周辺の呼称に使われている。

タンザニア紅茶(Tanzania black tea)

タンザニア紅茶(Tanzania black tea) 東アフリカ沿岸部に位置する国で、国土の大半が海抜1,000m以上ある。茶の栽培は南部の高原地帯のムフンディおよびルングイと、北東部のウサンバラ山系およびヴィクトリア湖西岸ブコバの3地方で行われる。ムフンディおよびルングイ地方は、最高海抜2,000mで高地産茶が生産され、ウサンバラ地方には若干の低地産茶のエステートがある。また、ブコバ地方はおおむね海抜1,500mにある。各地方はそれぞれの雨期と乾期が異なっている。1994年の生産量は約2万3,700tである。

ダージリン(Darjeeling)

ダージリン(Darjeeling) インド、西ベンガル州の最北部にある、ブータンとネパールにはさまれた地方。はるかにヒマラヤ山脈の秀峰カンチェンジュンガに対面する高原一帯を示す時と、この高原の奥にある避暑地の町をいう場合がある。ダージリン高原は世界的に有名なダージリン紅茶の山地であり、尾根と沢に沿った急斜面に茶園が造成されている。1850年代後半に中国種が避暑地ダージリン町の周辺から植え付けられ、1890年にはすでに現在とほぼ同じ2万haの規模になっていた。ダージリン町はホテル、プランターズクラブ、別荘風の建物、登山博物館などがある下町に分かれる。またヒマラヤの展望台タイガーヒル観光の出発点でもある。

チャイ(chai)

チャイ(chai) 茶葉を手鍋に入れて、水と牛乳もしくは牛乳のみで煮出すミルクティー。インドでもっともよく飲まれているので、インド式ミルクティーともいわれている。つくり方が類似するセイロン風ミルクティーはチャイを基本にしたもの。<つくり方:牛乳だけで入れる方法>①手鍋に150cc ×人数分の牛乳を入れて火にかけ、沸騰寸前まで温める。②人数分の茶葉を入れ、かき混ぜながら沸騰を2~3度繰り返して火を止める。③2分ほど蒸らしてから、茶こしを使ってカップに注ぎ分ける。

ティーエキスパート(tea expert)

ティーエキスパート(tea expert) 紅茶の総合的な専門家。茶樹の栽培から製茶、再製、品質鑑定、ブランド、梱包、包装作業、輸出、マーケティングに至るまでのすべてに精通した人をいう。一方、買付けの専門家はティーバイイングエキスパートという。

ティータイム(tea time)

ティータイム(tea time) お茶の時間。「いつでもティータイム」といわれるほど、イギリス人たちはベッドの中の朝の目覚めの1杯から、夜休むための1杯まで、1日のうち何回もティータイムの習慣をもっている。主なものには、ベッドティー、朝食時のブレックファストティー、10~11時のミッドモーニングティーブレイク、昼食時のティーアットランチ、午後4時のミッドアフタヌーンティーまたはアフタヌーンティー夕食後のアフターディナーティー、そして就寝前のティーなどがある。

ティーブレイク(tea break)

ティーブレイク(tea break) 紅茶で一服、小憩をとること。一般的には10~20分間程度の休憩で、茶を飲みながら長時間おしゃべりをするものではない。イギリス人のライフスタイルのなかには、午前11時頃と午後4時頃に、学校、病院、会社、工場、軍隊、むろん家庭でも完全に手を休めて小憩をとることが多い。このことは18世紀の中頃以来、世界にさきがけて産業革命を成し遂げた当時のイギリスで、工場や炭鉱などで働く労働者にとって小憩こそが不可欠なものとの考え方により、職場において簡単な食べ物と紅茶を提供することが普及していっことの名残りであるという。むろん給茶サービスの専門家(ティーレディー)は我々に姿を消して、セルフサービス方式が一般的になったとはいえ、現代のイギリス人にとって午後4時頃のミッドアフタヌーンティーブレイクの習慣は、生理的にも精神的にも最も大切なものとされている。

ティーポット(tea pot)

ティーポット(tea pot) 茶の葉を蒸らしてティーをサービスするための容器。サイズは多人数用、個人用と2種がある。丸型で熱湯が冷めないように保温効率のよい形、材質のものが実用的。陶製と金属製の2種の素材があるが、陶製の方が熱伝導率が悪く、冷めにくくてハンドルも熱くならないので一般的である。耐久性の面から業務用には銀めっきされた金属製のものが使われることが多い、ポットの内側に胴体に機能がしこまれたものも多いが、茶こし穴は比較的大きいので、別途茶こしを使う必要がある。蓋はツメなどで、落下防止の工夫がされている。蓋には空気穴が1ヵ所必ずあけてある。耐熱ガラス製のものも出回っているが、茶の葉の抽出具合が見えるのでよい。また、製品ができたあとからポットの内側にナイロンなどの材質のネットがつけられたもの(マジックポット)もあり、便利である。

トルコ紅茶(Turkey black tea)

トルコ紅茶(Turkey black tea) トルコは17世紀頃より、喫茶の習慣をもっていた。19224年に黒海沿岸で紅茶の生産が始まり、1947年に製造工場が黒海沿岸のリゼで稼働を始めた。その後も黒海沿岸を中心に栽培面積、生産数量共に拡大し、この20年間で3倍以上になり、1994年度は13万4,350tの生産量であった。生産はほとんど小規模栽培農家のはさみ摘みによるもので、全部オーソドックス製法である。国内消費がほとんどで、輸出の実績は少ない。また、一人あたりの消費量も非常に多く(年間2.5kg)、アイルランド、イギリスに次いで多い。これは永年、コーヒーの輸入が許可されなかったことが一因と考えられている。

ニルギリ紅茶(Nilgiri tea)

ニルギリ紅茶(Nilgiri tea) 南インド、タミーナルドゥ州のケララの近くの丘陵部に、ニルギリ(青い山の意味)高原があり、古くから避暑地として利用されていた。1835年にインドで紅茶をつくる計画の際、南ではこの高原が候補地になり、中国から取り寄せた茶の種がまかれたが、20本しか生き残らなかった。これらの苗木は夏の政庁があったウータカムンド(現在のウダガマンダラン)の近くで育てられ、1853年に初の茶のエステートができた。1890年代には、コーヒー園が中腹に、茶園が高地につくられ、今のように広大な産地になった。この経過が示すように、茶の品種は中国種が多く、特にウータカムンド西側の地区の茶園の製品は香りはよいが、水色[スイショク]は薄く、味も淡泊。ただ1~2月のクオリティーシーズンの紅茶は、比較的ディンブラ紅茶に似て好まれる。クーナーに近い東側のクオリティーシーズンは7~8月で、ウバ茶に似た紅茶がつくられる。品種はほとんどがアッサム雑種、製法もスリランカ風オーソドックス製法が多い。総じてニルギリ紅茶は、セイロン紅茶の高地産によく似ているが、やや淡泊。香気成分の分析値と構成比も似ているが、量が少ない。そのままでもインド茶としてはひとつの特長ありとされるが、世界の紅茶史上ではセイロン紅茶のブレンド材料とされることが多い。ニルギリ地方のおもな茶園として、Non Such, Thiashola, Craigmore, Parkside, Colacumbia, Coonoorなどがある。

ハイティー(high tea)

ハイティー(high tea) スコットランドやイングランドの農村部や工業地帯などに伝わる習慣のひとつで、子供たちと共に午後6時頃にとる 夕食のこと。食卓に向かって腰をかけ、肉や魚類の料理が供され、飲料は紅茶に限るとされていた。しかし最近ではイギリスでも簡便なおつまみとアルコールを軽く1杯飲みながら、友人や客をもてなすことをハイティーと呼んだりもする。ハイティーのハイは、子供の食事用の椅子(ハイバックチェア=背もたれの高い椅子)からきたといわれている。

バター茶

バター茶 チベット、モンゴルなどで利用されている茶で、槫茶[ダンチャ]を削って砕き、やかんで煮出した濃い茶汁に牛乳などと共にバターを加え、特性の容器で攪拌[カクハン]して飲む茶のこと。モンゴルやチベットでは、スーヨウチャ、ギー茶と呼ばれている。

バングラデシュ紅茶(Bangladesh black tea)

バングラデシュ紅茶(Bangladesh black tea) 1971年にバングラデシュ人民共和国が設立後、インドから受け継いだ茶の栽培地域はアッサムの南方シルヘットと、チッタゴン付近の限られた地区のみであるため、イギリスの援助を受け、紅茶振興計画が立てられた。この計画は現在も進行中で、1990年の生産は4万5,100tに達し、西暦2000年には5万tを超えることも予測されている。

一番摘み(first flush)

一番摘み(first flush) ファーストフラッシュのこと。同項参照。

一番茶(first crop)

一番茶(first crop) 休眠期のある茶産地で、休眠後最初に芽吹いた生葉[ナマハ]でつくった茶をいう。北半球の温帯地区は3~5月、南半球では10~11月。茶の芽は一般に冬の休眠期から気温が上昇して伸び始めるが、北西インドの一部のように、乾期あけ、つまり雨が降り始める7月が一番茶になるところもある。一般的に形状のよい新鮮な茶ができる。

中国茶

中国茶 歴史上の記録からは2,000年あまり、神話の世界からは5,000年の歴史があるといわれているが、確かなことは分からない。年間約60万tの産量があるといわれる。緑茶が主流で、全体の70~80%。中国茶類は独特な細分化された6大分類によって、緑茶、紅茶、黄茶、黒茶、白茶、青茶に分けられる。中国は茶樹の郷里でもあり、変わり茶などもあって、その種類は極めて多彩である。日本では「烏龍茶」すなわち「中国茶」、中国茶といえば烏龍茶と一般に誤解されているようだが、烏龍茶は中国茶の総産量のわずか5%にすぎない地方茶のひとつである。

古茶臭(gone off)

古茶臭(gone off) 紅茶は長く保存しておくと、カビに汚染されることもある。そうでなくても、香気成分が散失したり、タンニンの酸化重合が進行し、独特の臭みが出てくる。古臭ともいう。

台湾烏龍茶

台湾烏龍茶 香檳烏龍茶[シャンピンウーロンチャ]のこと。同項参照。

喫茶養生記

喫茶養生記 日本の隣済宗の開祖で建仁寺の開基である栄西禅師が、1168年と1191年の2度にわたる中国留学の際、帰国するにあたり茶の種子を持ち帰ったとされている。そして長崎の平戸、背振山[セブリヤマ](福岡県と佐賀県境)に播種し、やがてそれらが都の栂ノ尾[トガノオ]、宇治など全国各地に伝えられ、日本の茶業の基礎になった。栄西は『喫茶養生記』という日本初の茶書を著したことで茶祖と呼ばれている。『喫茶養生記』が世に出たくだりは、1214年の『吾妻鏡』に出ているが、時の将軍源実朝が二日酔いで不快であることを知った栄西が茶を献じ、同時に『喫茶養生記』なる書を差し上げて、将軍の不快を取り除いたことから、保健としての茶の飲用がいっそう広まったという。『喫茶養生記』は上巻と下巻の2巻から成り、上巻では特に茶の効用、製法などを記し、なかでも巻頭の「茶は養生の仙薬、延齢の妙術なり」のくだりは特に有名。下巻は桑の木からつくる桑場の薬効を説いている。そしてこの書は、茶の保健飲料としての地位を始めて明確に世に示した日本の専門茶書であるばかりか、往時の中国、日本両国の茶の栽培および製法が推察できる極めて貴重な書である。今日の茶の普及は、栄西とその著書『喫茶養生記』によるところが大きく、茶の聖典である唐の陸羽[リクウ]の『茶経』と同種の位置付けがされるほどである。

団茶

団茶 文字通り団子のように丸く塊状になった固形茶のこと。茶史上にみられる団茶類は、大小取り混ぜて多様であるが、小さいものは70~100gのものが多い。ピンポン球のようなものから大は3kgあまりを1個の塊にしたものがあり、人間の頭のようだから「人頭茶」と呼ばれるものさえある。もっぱら団茶は貢納茶[コウノウチャ]として朝廷に献じられていた。唐代のものは「餅茶[ヘイチャ]」と呼ばれ、少し厚みのある偏平なものが多い。団茶と呼ばれるようになるのは5代から宋時代にかけてである。いずれも茶の膠質[ニカワシツ]を利用して、まず茶葉を蒸し、木製の臼に入れて餅をつくようにつき、型に入れて形を整え、干し固めたもの。現代の団茶は緑茶や黒茶を湿らせるか、水分を加えて蒸圧しながら丸く固めた二次加工製品で、北方の遊牧民が常飲している。

国産紅茶

国産紅茶 日本での紅茶の研究生産は、明治7年(1874年)で、明治政府のなかに内務省勧業寮農務課に製茶係りが置かれたことに始まる。その背景は、日本産緑茶のみならず、新たに日本産紅茶の海外市場を開拓し、紅茶の輸出振興を図るためのものであった。そのため政府は同年、中国から2人の紅茶製造技術者を招き、大分県と熊本県に紅茶伝習所を開設し、近在の製茶製造業者を集めて紅茶製造を伝習させた。その後政府は、多田元吉をはじめとする一行を中国、インドに派遣して研修させ明治11年(1878年)には「紅茶製造伝習規則」を発布。紅茶を製造してイギリスなどに試売輸出を行ったが、低級品のため失敗に終わった。対象6年(1917年)、当時の日本茶業界の重鎮である大谷嘉兵衛、中村円一郎を中心に紅茶製造のための「日本紅茶株式会社」を設立し、国産紅茶の国際進出を図った。また、昭和4年(1929年)には、ソ連の製茶技術者シエーニングの指導によるインド、セイロン式の紅茶製法を修得して輸出振興を行った結果、昭和5年(1930年)以降紅茶輸出は増大した。しかし、その後世界的な紅茶の紅茶需要の過剰と、そのための国際茶業協定の締結もあって、日本産紅茶の輸出は停滞した。日本紅茶株式会社は、日本産紅茶を「ヒノマル紅茶」として国内販売していたが、現在はブルック・ボンドと提携し、ブルック・ボンド紅茶を販売している。一方第2次大戦前、日本の統治下にあった台湾政府は、明治36年(1903年)に茶樹栽培試験所を平鎮に設置。大正12年(1923年)には中央研究所平鎮茶業試験場支所として紅茶の生産研究に従事した。これより先、明治31年(1898年)には三井合名会社が台北の海山、桃園の体渓に大規模な茶園を開拓して製茶事業を開拓し、大正13年(1924年)より本格的に紅茶の製造を始めた。昭和2年(1927年)には「三井紅茶」の商標で、日本最初の缶詰紅茶を内地で発売。昭和5年(1930年)に「三井紅茶」の名称は「日東紅茶」と改名され、現在に至っている。また、国は明治10年(1877年)頃から、紅茶用栽培品種の研究を行い、大正8年(1919年)に国立茶業試験場の設立にともなって、紅茶の生産改良に関する試験に着手。約30有余年を経て紅茶用優良品種「べにほまれ」、「はつもみじ」、「べにたちわせ」などが作出され、その製品はトンドン市場においてインド、セイロン産紅茶に比してもなんら遜色なく、むしろ上位であるとの確証を得た。それで国は昭和22年(1947年)、本格的に紅茶産業の育成を推進するため、国営の茶原種農場を全国3ヶ所に設置して、紅茶用優良品種の増産普及に努めた。その後紅茶用優良品種による生産の増加とロンドンをはじめとする試売輸出が好評であったことから、昭和34年(1959年)、国の「茶業振興調査会」の答申に基づき、品種紅茶園1万haの造成を図ることとした。同時に新たに紅茶に関する試験研究機関の一大強化を図るため、農林省茶業試験場枕崎支場を新設し、紅茶の基本研究を開始した。しかしながら、日本の紅茶生産(鹿児島、宮崎、大分、徳島、愛媛、高知、奈良、和歌山、三重、静岡県が中心)は生産の増加にともない、生産コストがどんなに合理化してもインド、セイロンなどの海外産品に比較して3~5倍の値段であったこと、品質的にも劣っていたこと、世界的に紅茶生産が過剰気味で市場価格も不安定であったこと、加えて緑茶生産が国内高で好調であったこともあって、紅茶生産から緑茶生産に転換を余儀なくされた。日本の紅茶生産は昭和30年(1955年)の8,525tをピークとし、昭和42年頃までは1,000t程度、昭和45年は254tであった。輸出振興、輸入外貨節約、国産紅茶産業の育成の観点から、農林省が中心となって指導を続けてきた日本の紅茶生産は、ついに外国産紅茶に破れ、発展途上国の先進国向け一次産品売込み要請強化と相まって、昭和46年(1971年)6月30日、紅茶輸入は自由化された。その後は紅茶の生産は皆無となり、わずかに地場消費用に1~3t程度が生産されているにすぎない。

増量茶(filler)

増量茶(filler) 特別な癖のない安い紅茶。ブレンドの主体となる紅茶の特長を損なわず、平均単価を下げることができる。計り売りしていた茶の消費の初期には柳の葉などのにせ物も混ぜたくらいで、この用途は多かったが、ティーバッグが消費の主流を占めるようになって必要性は薄れた。増量茶を加えなくても、入れる茶の量を少なくするだけでよいからである。

夏茶(summer tea)

夏茶(summer tea) 四季の季節のある産地で、夏に生産される茶。台湾、中国の紅茶の場合には、比較的上級品を意味する。サマーティーという言葉は、紅茶用語としてはほとんど使われない。

大白茶

大白茶 清朝時代の白茶は、すべて「菜茶」と呼ばれる地茶、つまり種子繁殖の在来種で「白毫[ハクゴウ]」などを製造していたと伝えられているが、地茶はやせた芽で小さく、うぶ毛のような白毫も少なく、今日のような立派な銀針白毫茶ではなかった。1885年頃、大白茶という半喬木の新品種が開発採用され、銀針白毫茶の製造を開始したといわれている。よく肥えた白毫で覆われた立派な発芽をもつ品種茶である。

奶茶

奶茶 内蒙古自治区のモンゴル族が主として常飲する。「奶」とは中国語の乳のこと。つまりミルクティーのことになるが、ふつうの紅茶のミルクティー。チベットの酥油茶[スーヨウチャ]に用いられているような固形茶だが、奶茶には手でほぐせないほど固い板のような湖南省産の黒槫茶[コクダンチャ]や湖南省産の青槫茶を使う。それをなたや包丁で切り砕き、金槌で細かく砕いて鍋や釜に入れ、茶汁がコク出るまで煮立てる。そこへ温めておいた牛乳(羊乳や馬乳のこともある)と塩を加え、モドンガンという口広で底すぼみの木桶に入れて攪拌し、銅の茶瓶に移して木の腕に注いで飲む。バターを加えたり、炒ったクリを入れてたりして飲む場合もある。

嬉野茶

嬉野茶 佐賀県藤津郡嬉野町界隈および長崎県の一部で産する茶を、総称して嬉野茶と呼ぶ。その製茶法は中国式の釜炒り茶(玉緑[タマリョク]茶、ぐり茶)の方法が主流であったが、近年は蒸製茶もつくられている。1440年ころの伝承で歴史も古いが、本格的な栽培は17世紀前半、佐賀藩の吉村新兵衛によって広められたという。

安渓鉄観音茶

安渓鉄観音茶 青茶の故郷、中国の福建省の茶産地は、南北の2大茶区に分けられ、武夷岩茶[ブイガンチャ]を代表とする北路茶、安渓茶を代表とする鉄観音茶、南路茶がある。安渓茶の歴史は250年そこそこといわれ、武夷岩茶とは1,000年以上もの隔たりがあるが、この地で産する鉄観音茶の極品は、数ある青茶のなかでも逸品である。「鉄観音」という名称は、茶名として広く知られているが、品種名でもある。命名の由来は観音様の恵みにちなんでつけられた話がいちばん有名。「鉄」を冠している由来は諸説あるが、包揉[ホウジュウ]を何度も繰り返し、丸くなった茶葉が鉄のように重く固く揉まれているからだという説が知られている。茶葉の光沢は白い霜が降りたような緑色を呈している。野菜の蘭の花の香りがあり、茶の出が何度も効くものほどよく、後味にコクがあっていつまでも長く続くので、一般に「風韻あり、余香あり」という。

岩茶

岩茶 福建省武夷[ブイ]山茶区の岩場に産する青茶(半発酵茶類)は武夷岩茶として有名。もともと野生の茶であったが、近年は人口的にいわばのくぼみ地に土地を入れて茶樹を植え、栽培しているものが主流。中国では正岩茶、正岩などと称して下級岩茶もどきの茶と区別し、香味に「岩韻」があると珍重されている。武夷岩茶を北岩茶、安渓の鉄観音茶を南岩茶と呼ぶこともある。武夷山区では、平坦部でとれた茶を洲茶、岩茶と州茶の中間で産した茶を半岩茶と呼んでいる。

弱発酵茶

弱発酵茶 軽度発酵茶ともいう。日光萎凋[イチョウ]や室内萎凋によって、茶葉が軽く酸化したもの。通常は発酵度20%以下のものをいう。代表的なものに台湾省で産する包種茶[ホウシュチャ]がある。また微発酵に属する茶に、中国の福建省で産する白茶がある。その代表的なものは銀針白毫茶[ギンシンハクゴウチャ]や白牡丹茶[ハクボタンチャ]などである。

後発酵茶

後発酵茶 紅茶の製造時、発酵止めの乾燥がよくなく、そのあと発酵が漸次進むことを後発酵というが、一般に中国茶の6大分類中、黒茶、黄茶に属する茶、なかでも普洱茶[プーアールチャ]は後発酵の代表茶である。日本で産する阿波番茶、土佐の碁石茶[ゴイシチャ]、越後のバタバタ茶に用いる黒茶なども後発酵茶の流れを伝えている。

手摘み(hand plucking)

手摘み(hand plucking) 紅茶の主産地の多くで行われている、人の手で茶の葉芽を収穫する方法。茶樹の上に目印になる竹の棒を置き、その高さより伸びている芽を摘む。

新茶

新茶 その年のいちばん初めに生産した茶で、一番茶と総称することもあり、その初期の一部のものをそう呼ぶこともある。日本では特に新茶感覚の景行が強く、人々は旬のものをことのほか尊ぶ。日本を除いた茶の生産国では、日本ほど新茶のムードに酔うこともなく、新しいとれた茶ぐらいの軽い考え方のようである。

日東紅茶

日東紅茶 三井農林株式会社が販売している紅茶ブランド。1898年(明治31年)、三井合名会社が台湾において山林を開拓し、製茶事業の経営に着手したことから始まる。欧米に輸出された紅茶製品が海外市場で高く評価され、1927年(昭和2年)、日本最初の国産缶入り紅茶「三井紅茶」として発売された。その後1930年(昭和5年)に日東紅茶と改称され、現在に至る。1938年(昭和13年)にはいち早く、東京の日比谷に「日東コーナーハウス」を開店し、紅茶のピーアールに貢献してきた。現在は日本人の嗜好に合わせた正確な商品づくりをモットーとし、国内最大手の紅茶メーカーとして、原料茶のすべてを原産国から直接買付け、自社技術による国内製造を行っている。

早摘み茶

早摘み茶 緑茶における「新茶」と同じような感覚で、ヨーロッパの紅茶の歴史でもより新鮮な茶が珍重されてきた。ティークリッパー(茶船)が活躍した時代のこの習慣はダージリン紅茶とヨーロッパの間に残っており、今でも毎年航空便で輸送される。

ティークリッパー(tea clipper) かつて中国からヨーロッパまで茶葉を主体として運んだ快速帆船(茶船)のこと。ティークリッパーは400~700t程度の小型の帆船であったが、南シナ海の微風の多い海上を航海するために多くの帆を備え、船体は軽く、華麗な装備がなされていた。重量の軽い茶葉を運ぶ際には14ノットというスピードで帆走することができた。各船が中国茶を積み込んでから、ロンドン港までの海路を1時間でも短縮しようと競い合ったのが、有名な「ティーレース」である。最も有名なのは1866年5月開始のレースで、漢口とロンドンの間を99日間で航海した。ティークリッパーは、1869年のスエズ運河の開通にともない、蒸気船に取って代わられ、姿を消した。

スエズ運河(Suez Canal) エジプトの北東部、スエズ地峡を貫いて地中海と紅海を結ぶために建設された運河。1859年にフランスとエジプト政府をおもな出資者として、ポートサイド側から工事が始められ、1869年になってようやく開通という難工事であった。スエズ運河の開通によって中国茶のヨーロッパへ輸送期間は大幅に短縮され、かつて大活躍をした茶船(ティークリッパー)も次々と蒸気船を取って代わられていった。

東インド会社(East India Company)

東インド会社(East India Company) ヨーロッパからインド洋に船団を派遣して、おもにコショウは各種の香料その他の交易を行わせるために設立された貿易会社。各国で類似の会社が設立され、いずれも「東インド会社」と称した。1600年末にイギリス東インド会社、1602年3月にオランダ東インド会社が設立された。当時のオランダは1595~1602年の間にアジアと貿易する会社が14社にものぼり、過当競争のため共倒れする危険性があった。そこで政治家オルデンバルネフェルトの肝入りで、各社が統合し、オランダにおける「連合東インド会社」が生まれた。これは、豊富な資本金を集めた世界最初の株式会社であった。

桂花茶

桂花茶 中国で「桂」とは木犀[モクセイ]のことで、日本の桂の木とは異なる。桂花には、金、銀、丹[アカ]の3朱の花があり、烏龍茶類の香気に似て、清香で爽快な谷間に咲く東洋欄の香りがするので、淡い香りの烏龍茶の香気を補うため、モクセイの花の香りを添加し、桂花茶としたものが多く市販されている。一種の花茶、花薫茶[カクンチャ]である。

條植え茶園

條植え茶園 畦[ウネ]仕立ての茶園。茶園づくりには1株ごとに独立して茶樹を植える株仕立てと、波のうねりのように並べて茶樹を植える畦仕立てとがある。後者を條植えといって、茶葉の摘採[テキサイ]も機械化ができる茶園仕立てである。昔は不規則に殖栽した茶園が多かったが、今日ではほとんどなくなり、條植えの茶園がふつう。

水仙茶

水仙茶 「水仙種」で単独採製された青茶を水仙茶と呼んでいる。一般に水仙種は福建省建陽県の太湖郷付近がその原産地であるという。水仙種が栽培し始められたのは、ここ200年あまり前のことだが、その歴史はさらに古いようだ。水仙種は灌木(低木)と喬木(高木)の中間型で、半喬型に属している大葉種。樹高も高く、葉型はアッサム種ほどではないが、比較的大きく、硬葉[コワバ]化したものはクチナシかツバキの葉の大きさぐらいである。葉付き、分技は少なく、主幹は高くなって太い。葉の主脈がはっきりしていて、濃緑色で光沢があり、葉肉厚く、芯芽は白毛多く、黄緑色で大きく、長く、極めて立派なので、水仙種の若芽で紅茶や微発酵の白茶を製造しても品質のよいものが得られる。近年「水仙白」と呼ばれる品種茶が登場して話題になっている。閩北[ビンホク](福建省)水仙(岩永仙)、閩南[ビンナン]水仙(永春、安渓の諸県産のもの)、広東省の鳳凰水仙などが有名。独特の熟茶(ほいろの強い茶のこと)の香りがあって茶の出もよく、大衆の好みに合った青茶である。

沱茶

沱茶 普洱緊圧茶[プーアールキンアツチャ]のなかでも品質が最もよく、外形は固く緊結して興味のある形をした茶碗形、あるいはハート形、きのこの笠の形をしている。一般に非常に若い茶の芽の晒青[シーチン]緑茶や釜炒り緑茶を原料としているので、よいものは黒い光沢の茶葉に、若芽の白毫[ハクゴウ]が多く混じっている。またひとつひとつ木綿の布を用いて蒸圧成形されているので、製品の肌に、布目が認められるものが多い。緑茶が原料なるがため鮮度が大切で、清香味があり、透明度の高い湯色が特長。味は釜炒りの緑茶の香味を備え、爽やか。沱茶は中国の緊圧茶のなかで、最も歴史の古いもののひとつで、命名の由来も多く定かではないが、四川省沱江からというもの。あるいは、8世紀以前、「茶」の字はなく、「茶[トウ]」の字を用いたので、その発音と「沱」の音が似ているからというもの。また古くから「団茶[ダンチャ]」と呼ばれていたので、「団[トワン]」から「沱」に転化したという説などがある。沱茶は雲南省下関[ゲカン]、モウ海、大理で生産されるものが多く、品質も優れている。四川省重慶沱茶、広東沱茶も有名で、生産地の人々の好みにも合って愛飲されている。近年海外にも輸出され、人気がある。

洗茶

洗茶 16世紀前半に書かれたと伝えられる銭椿年の『製茶新譜』煎茶四要二の淹茶[エンチャ]過程に「茶を烹[ニ]るにはまず熱湯で茶の葉を洗い、そのほこりと冷気を取り除いてからこれを烹るとよい」と、「洗茶」という言葉が初見される。また明の万歴年間(1607年頃)に書かれたという許次紓[キョジジョ]の『茶疏[チャソ]』でも、ぬるま湯で茶葉を洗う「洗茶」の法を伝えている。当時の茶はいずれも緑茶で茶の製造環境がよくなく、不潔感を覚えたのでやむを得ず洗茶の法を教えているのである。今日、烏龍茶に工夫[コンフウ]茶という淹茶法があり、第一煎目を「湯通し」といって茶を洗うことを茶芸などの淹茶の手順のなかで教えているが、これは間違った茶のいれ方である。ふつう茶は一煎目で80%もの成分が煎出されるので、かりに素早く湯通しするとしても、茶の成分やうま味、香りも失うことになる。すでに科学的に証明されているよくない淹茶法である。ただし、普洱散茶[プーアールサンチャ]のみ洗茶が必要。

液体紅茶(liquid tea)

液体紅茶(liquid tea) 紅茶そのものが液体に花梗してから飲まれる飲料であるが、商品の流通時にすぐ飲める状態(ready-to-drink)に再加工して、缶、紙容器、瓶、ペットボトルなどに詰められた紅茶の浸出液をいう。アメリカでレモンティーやインドネシアでごく薄い紅茶液が売られていたが、日本で本格的な紅茶風味をもった商品が発売開始されたのは1970年代後半で、これは容器および抽出と保存の技術が進歩した結果である。液体紅茶が統計的に注目され始めたのは1988年からで、この年から日本の紅茶の輸入量は再び伸び始めた。今後日本での成功から欧米でも普及するものと期待されている。

淹茶

淹茶 急須、土瓶、ポット、やかんなどに茶葉を入れ、茶葉に湯を注いで茶の出を待ち、茶碗や茶杯に注ぎ分けて喫茶する方法。陸羽[リクウ]の『茶経』に記されて以来今日まで、世界の喫茶峰の大半が淹茶である。カップに直接茶葉を投じ、熱湯をかけて飲む泡飲[ホウイン]の茶もあるが、原理は同様。出し茶ともいう。

清明茶

清明茶 清明節(4月5日頃)前後に摘まれて製茶した茶をいう。日本の八十八夜の茶のようなもの。清明節前につくられた茶を明前茶といって、いっそう珍重される。ちなみに清明節とは、中国国民の総墓参の日で、日本の盂蘭盆[ウラボン]のようなもの。

漬物茶

漬物茶 中国の雲南省からタイ、ミャンマーにかけての少数民族の間で利用されているもの。この茶はミヤンと呼ばれている。1.5時間ほど蒸熱殺青[サッセイ]した茶葉を土を掘った穴やかめの中に入れ、3~12ヵ月貯蔵する。水分の多い状態で主に乳酸菌、酢酸菌などが働き、発酵が進むので、漬物特融の甘酸っぱい独特の香りになる。現地の人々はこれを嗜好品として岩塩で少し味付けをして、接客時にあるいは一服する時に噛む。徳島県の阿波番茶、高知県の碁石茶、愛媛県の石鎚黒茶も漬物茶の一種である。

烏龍茶

烏龍茶 半発酵の青葉を俗に「烏龍茶」と総称しているが、正しくは烏龍茶品種を用いて単独採製[サイセイ]されたものを烏龍茶という。中国福建省、広東省、台湾省を主産地とする。一般に烏龍茶の製法は、日光萎凋、室内萎凋、攪拌[カクハン]、殺青[サッセイ](釜炒り)、揉捻[ジュウネン]、乾燥の工程を経て製品となる。清朝(1622~1912年)中頃からそれらしき茶が生産されるようになった。比較的新しい茶で、やがてこれらから紅茶が生まれることになる。烏龍茶類は多彩で数多いが、一般に茶樹の品種名や産地名から命名されている。緑茶と紅茶の中間的な製法から半発酵茶ともいわれ、紅茶の芳香と緑茶の滋味を兼ね備えた茶。1980年頃から日本ではブームとなり、日本緑茶に次いで定着し、飲まれるようになった。

煎茶

煎茶 緑茶の代表的なもの。茶の若葉を摘んだ直後に蒸して、酸化酵素を不活性化し、熱風下で充分揉捻[ジュウネン]して細胞が砕かれ、水溶性成分を溶出しやすくした後、水分3~4%まで熱風乾燥する。緑茶特有の緑色とさわやかな香味を有する。急須に入れた乾燥茶葉に湯を注ぎ、茶碗に分けて供する喫茶法を、本来煎茶(法)と呼ぶ。

着香茶(flavored tea, scented tea)

着香茶(flavored tea, scented tea) 乾燥仕上げ下茶の葉に香りを添加したもの。大別して、茶葉に香料などを吹き付けたもの、あるいは、茶葉特有の匂いを吸収する性質をりようして、花や果実、スパイス類などを混ぜ込んで、それらの香気成分を吸収させたものの2種類がある。用語としては前者がフレーバードティーであり、後者がセンテッドティーと区別される。フレーバードティーの代表的なものには、イタリア産の柑橘類のひとつであるベルガモットの香油を着香して、イギリスの元首相であったグレイ伯爵の名を冠した「アールグレイティー」がある。またセンテッドティーには、中国の花の香りを茶葉に吸い込ませた「ジャスミン茶」(ただしこれは紅茶ではない)がある。

砂糖革命(Sugar Revolution)

砂糖革命(Sugar Revolution) 贅沢品の砂糖の値段が急速に下がっていったために起こった食生活上の革命的な現象。16世紀にスペインが西インド諸島のサント・ドミンゴ島(イスパニオラ島)の各地に甘しょ園を経営し、大量の砂糖をヨーロッパに配給し始めたことから、ヨーロッパ各国は争って西インドに植民地を獲得し、製糖の大量生産を果たし、その結果イギリス国民は安くなった砂糖を消費できるようになり、お茶にも砂糖をたっぷり加えて飲むという贅沢な生活が定着していった。

砕茶(broken tea)

砕茶(broken tea) 英語のブロークンティーの直訳。紅茶生産のステップのうち揉捻[ジュウネン]工程で揉捻機械により細かくした茶のことであるが、日本語では再製加工時に切断機で破砕した茶を意味することが多い。

秋摘み期(autumnal season)

秋摘み期(autumnal season) 四季のある産地、特に北インドのダージリンでよく使われる言葉。10~11月は北東の季節風が吹き、茶園が乾燥して香味のよい茶ができるが、気温が低くなるので、5~6月の二番茶期(セカンドフラッシュ)の品質にはおよばない。つやがなく、外観で見劣りする。

秋番茶

日本茶は一番茶、二番茶、三番茶と春4月20日前後から45日ごとに生産され、1年の生産の最後に製造される茶を四番茶という。日本の優良茶産地では、たいてい一番茶あるいは二番茶ばでで生産を終了するところが多いが比較的温暖な地方ではその後も茶葉の成長がみられるので、茶樹の剪定を通常9月下旬から10月いっぱいをめどに実施する。その時に刈り落とした茶葉を原料に製茶したものが秋番茶。要するに三番茶を製造した茶樹から秋茶を製造したものを四番茶、三番茶を製造しないで生産された秋茶を秋番茶という。

籠茶

籠茶 中国茶の乾燥には、かつて焙籠[ペイロン]といって武を編んでつくった筒状の籠に茶葉を入れ、炭火で乾燥ないしは長時間の焙炉[ホイロ]をした。特に烏龍茶類の再火(火入れ)と烘焙(あぶり入れ)には最適である。しかし、現代は特殊な高級青茶を除いて、すべて機械化され、乾燥機を用いている。戦前の日本の輸出茶も「バスケ(籠)」を用いたものが知られている。

紅烏龍

紅烏龍 台湾省で産する烏龍茶の一種で、白毫[ハクゴウ]烏龍茶、台湾烏龍茶、香檳[シャンピン]烏龍茶の略称的な呼び名。ほかにこれらの安物に強く火入れしたものをいう。

紅茶の審査項目

紅茶の審査項目 紅茶の審査項目とよしあしの見方は次の通り。 ・形状…よくよれてしまっていて、手のひらにのせて重い感じがする。よく揃ってつやのあるもの。ティップのあるもの。摘み方が粗いと、外観は偏平になり、軽くなる。 ・水色[スイショク]…カップの底まで透き通った橙色または紅色系統の冴えた色で、明るいもの。カップの縁にゴールデンリングがみられるもの。ミルクを加えると明るく冴えたこはく色、つまりややピンクがかった褐色。暗くくすんでいたり、ミルクを加えると灰色がかるものはよくない。 ・香気…産地、品種、時期によりいろいろと特長があるが、華やかさ、爽快さ、強さ、香りの調和が必要。リナロール系、ゲラニオール系は花香として、少しの青葉アルコールはフレッシュ感として感じられる。 ・味…ダージリンは甘みと滋味に富んだ柔らかさ、セイロンは後味のよい渋さ、アッサムは存在感のあるコク味というように、特長に違いがあっても、紅茶らしさを感じさせるもの。 ・茶穀…茶穀に残っている香り、穀の手触りで芽のよさ、鮮度、製造のミスが判断できる。

紅茶の日(National Tea Day)

紅茶の日(National Tea Day) 日本紅茶協会が定めた記念の日。例年11月1日に祝う。海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)の船主、大黒屋光太夫他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得なかった。帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。

紅茶の関税

紅茶の関税 発展途上国からの関税引下げ要請がUNCTAD(国連貿易開発会議)、GATT(関税と貿易に関する一般協定)などを通じて強まるにつれて、暫定関税措置法に基づく暫定関税制度が設けられ、暫定税率が適用されることになった。また、1977年には東京ラウンドの一環として、熱帯産品のオファーの早期実現を図るため、開発途上国に対して特恵関税上の特別措置の実施が決定した。その後も関税の海底は随時行われている。

紅茶伝習所

紅茶伝習所 紅茶の製造を専門家から伝習させるために、明治時代に設けられて施設。当時の日本ではイギリス式のインドセイロン(現在のスリランカ)における紅茶の産業化の成功例にならって、国際紅茶を生産して世界各国に輸出するために、明治7年(1874年)から紅茶の研究が始められた。最初は九州の大分と熊本に、1877年には東京、静岡、鹿児島にも紅茶伝習所が設けられた。教師は中国から招かれた製茶技師たちであった。一方で政府は多田元吉他2名の役人にインドに派遣して、イギリス式の紅茶製造法を研究させると共に、紅茶の製造に適した茶期と製茶機械の導入を行わせた。しかし、結果的には政府の念願は実現することはなかった。

紅茶文化(tea cluture)

紅茶文化(tea cluture) 喫茶文化の起源は中国の四川省に始まるが、紅茶を世界的な飲料として育て上げたのはイギリス人であった。そして300年以上の歴史と伝統に育まれて、紅茶文化はイギリス人の生活文化として、彼らのライフスタイルの一部となった。心のこもった1杯の紅茶は心と体に効く健康的な自然飲料であり、ストレス過剰の現代人に、真のくつろぎ、安らぎ、憩いをもたらしてくれるのみならず、人と人との間のコミュニケーションを円滑に促進してくれる最も有効な手段のひとつである。

英徳紅茶

英徳紅茶 広東省英徳県で産する紅茶。略して英紅[エイコウ]という。中国茶は伝統的な工夫[コンフウ]紅茶、小種紅茶、そして英徳紅茶のように茶葉が細かく砕かれ、別名「紅砕茶」と呼ばれるブロークンタイプの分級紅茶の3類に分けられる。1956年、広東省の英徳茶場で創製された歴史の新しい紅茶で、茶園管理から花梗に至るまで、現代中国が誇る科学的管理のもとに建設された近代工場で生産されている。原材茶の品種は雲南大葉種が大部分を占め、半喬木の大葉種である鳳凰水仙種も多く、その他の紅茶に適した品種も多く栽培されているので、年中平均化した温暖な気温の環境にあることと相まって、良茶が生産される。英徳紅茶は単独で販売される場合もあるが、一般的にはブレンドで愛飲されることが多い。

茶の伝播

茶の伝播 人が茶の栽培を最初に始めたのは4世紀中頃、中国の西南部四川省においてであろうと考えられている。煎じ薬として飲まれ始めた茶は、漢民族によって広められ、5世紀には製茶法も誕生して商品化された。その後、隋代、唐代を通して一般化した喫茶の風習は、10世紀以降の宋代において文化として洗練されるに至った。日本へは中国から仏教と共に593年頃伝えられ、唐代(618~907年)以降になって、次第に陸づいたに近隣の国々にも伝えられ、利用されるようになった。初めは中国から蒙古に、そしてシベリア、チベット、カシミールへと伝わった。ここからトルコを経てアラブの諸国、コーカサス地方へと広がり、ついに北アフリカへと紹介されていった。大航海時代に入り、ポルトガル人によって中国や日本の喫茶の情景がヨーロッパに報告、紹介されるようになったが、茶と茶道具はオランダ商人によって17世紀に入ってからヨーロッパに伝えられるようになった。

通信教育講座の諒設計アーキテクトラーニングTopへ
資格・検定の一覧

人気の通信教育はこちら

本格的な紅茶を、楽しみながら学べる。
紅茶資格

紅茶・tea
W資格取得講座

入学金無料 分割払い可能 初心者OK 安心の受講期間 質疑無制限 カリキュラム自由設定

紅茶資料 紅茶

未経験から目指す。コーヒーのスペシャリスト。
カフェ資格

カフェ・コーヒー
W資格取得講座

入学金無料 分割払い可能 初心者OK 安心の受講期間 質疑無制限 カリキュラム自由設定

カフェ珈琲資料 カフェコーヒー

少しでも気になったら… 無料資料請求!!
人気の通信教育
更に今ならっ!!
資料請求された方全員に
通信講座徹底ガイド本
もれなくプレゼント!!
通信講座の資料
通信教育・通信講座の諒設計アーキテクトラーニング資格講座Topへ