島根県の人気観光地石見銀山の見どころ3選

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石見銀山とは

石見銀山は戦国時代から江戸時代の末まで銀が採掘された銀山です。戦国時代の頃には銀の産出量が多いことで世界的に有名でした。最盛期には世界の銀産出量の三分の一を占めていたといわれています。

銀の精錬には大量の木材を使用するため、周辺一帯がはげ山状態になることが一般的ですが、石見銀山の場合は自然環境を守りながら適切に森林を管理していたため、自然環境への影響を最小限にとどめています。この点が大きく評価され世界遺産に登録されるきっかけになりました。

石見銀山の歴史

石見銀山は、1309年(延慶2年)に周防の大内弘幸が北極星(北斗妙見大菩薩)の宣託で石見の山中に銀を見つけ出したという伝説が残されています。この頃は露天掘りのみでその後の銀の採掘は下火になっていました。その後、博多の商人・神谷寿貞が沖合を船で航行していて石見一帯の山々が光って見えたことから領主大内義興の支援を得て、1526年(大永6年)頃から峯山の中腹で地下の銀を掘り出すようになります。

その後石見銀山は、さまざまな権力者によって争奪戦となります。特に戦国時代に入り、「銀を制する者は日の本を制する」といわれ、最初は大内、尼子、毛利氏による争奪戦が激化し、やがて豊臣秀吉に移り、朝鮮出兵の資金源になります。その後は徳川家康の幕府領となります。徳川家康は家臣の大久保長安に石見守を命じますが、どこからか「長安は隠し財産を蓄積して謀反を企んでいる」という噂が広がり、長安をはじめ妻や子供、一族すべてが首をはねられるという事件がありました。江戸時代の平和な時代に入ってもなお、大量の銀が欲望蠢く権力者たちを翻弄させました。

また銀山で働く労働者は、銀の採掘が少なかった場合簡単に首をはねられました。また坑道内は空気が悪くしばしば落盤事故が起きることもあり、命がけの作業でした。また精錬では大量の鉛を吸い込むので鉛による健康障害も発生しました。当時は30歳まで生きたら長寿とされ、尾頭付きの鯛と赤飯で祝ってもらいました。

石見銀山のおすすめ観光地

★清水谷製錬所跡

島根県大田市大森町

この精錬所は明治時代に入って建設されました。しかしほとんど銀鉱が枯渇していたためわずか1年ほどの操業でした。圧倒的な存在感のある遺跡です。

★龍源寺間歩

島根県大田市大森町

一般に公開されている唯一の間歩です。坑道にはノミの跡やつるはしの跡が残され、過酷な鉱山労働の様子がうかがえます。公開されているのは273mのみで、アリの巣のような公開されていない坑道が無数に張り巡らされています。

★下河原吹屋跡

島根県大田市大森町銀山地区

発掘調査で見つかった江戸時代初期の銀精練遺跡です。

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