京都の人気観光地!二条城のおすすめの見どころ3選

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二条城の観光スポット

二条城は、京都市を南北に縦断する堀川通り沿いにあり、京都に入って西本願寺の次に目に飛び込んでくる大規模な観光スポットです。江戸時代に徳川家康によって造られた城で、戦国時代のような戦を想定した城ではないので、優雅な印象を持つ城郭です。明治以降には皇室の離宮や京都府庁として使用されたこともあります。1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」に登録されています。

徳川幕府のはじまりと終わり、「徳川家康の将軍宣下」と「徳川慶喜の大政奉還」が行われた場所としても知られています。

二条城の歴史

現在の二条城は徳川家康が造営したものですが、それ以前にもこの場所には城がありました。

室町幕府13代将軍の足利義輝の居城があり「二条御所武衛陣の御構え」と呼ばれました。その後室町幕府15代将軍足利義昭の居城として織田信長が寄進して造営し、この時代には「二条御所」と呼ばれていました。その後、織田信長自らの京都滞在中の別荘として整備され、その後皇太子に献上します。この時代には「二条新御所」と呼ばれていました。そして最後に現在の二条城が徳川家康によって京都滞在中の旅所として造営されました。

室町幕府13代将軍・足利義輝による最初の二条御所武衛陣の御構えの館は、戦国時代只中の永禄8年(1565年)に室町幕府の重鎮であった斯波氏の屋敷跡に自ら戦乱に耐える城の造営にかかります。しかし完成間際に三好義継と松永久秀らの攻撃を受けて足利義輝は命を落とします。

室町幕府15代将軍足利義昭の居城「二条御所」は、織田信長によって寄進されましたが、70日という短期間で築城され、石垣には京都中の墓石や石仏が集めて使われました。義昭は「二条御所」に本拠を移しますが、織田信長が戦に勝ち進み全国制覇を目論むようになるにつれ、次第に関係が悪化し、ついに足利義昭は「二条御所」で信長に対して挙兵します。

しかし織田軍に包囲された足利義昭は一戦も交えることなく降伏します。その後足利義昭は、毛利輝元の勢力下にあった備後国の鞆(岡山県鞆の浦)に落ち延びます。義昭の備後の亡命政府は鞆幕府と呼ばれています。

室町幕府が滅亡したあと、織田信長は誠仁親王に「二条新御所」として「二条御所」を寄進します。その後、徳川家康の時代になり、現在の二条城の造営が始まります。慶長7年(1602年)5月に御殿と天守の造営に着工し、慶長11年(1606年)に完成します。

ちなみに「二条城」と呼んだのは徳川幕府で、朝廷は「二条亭」と呼びました。

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