上賀茂神社とその周辺・京都市北区上賀茂の人気観光スポット

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上賀茂神社の観光

上賀茂神社は通称で正式名称は「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。古くからこの地域を治めてきた賀茂氏の氏神をまつる神社で、下鴨神社(賀茂御祖神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称されています。有名な葵祭(賀茂祭)は上賀茂神社と下鴨神社が共同で行っているお祭りです。

上賀茂神社のご神体である神山からは、百人一首の句で有名な「ならの小川」が流れ出ており、上賀茂神社の境内を出ると明神川へ名前を変えて上賀茂の街並みの中を流れます。上賀茂神社の神職が住んだ神社門前の社家では、明神川の流れを敷地に引き込んで禊ぎの場を設けていました。神職はここで禊ぎをしてから神社に入ることがならわしとなっていました。現在も明神川は上賀茂の街中を流れており、潤い豊かな風情を街並みに添えています。

上賀茂神社の逸話

御祭神は賀茂別雷神をお祀りしています。賀茂別雷神は上賀茂神社のご神体である裏山の神山に降臨したと伝えられています。天武天皇の時代に現在の敷地に社殿が造営されました。雷除けや厄除けの神様として民衆の信仰を集めてきました。本殿・権殿は流造の典型的な建造物で、国宝に指定されています。

「山城国風土記」では、神が丹塗(にぬり)の矢に姿を変えて加茂川の上流から流れてきて、それ拾った玉依日売(たまよりひめ)が懐妊し、賀茂別雷命が生まれたと言い伝えられています。

このような丹塗矢伝説(にぬりやでんせつ)は、古事記にも登場し、「奈良の三輪山の大物主神が丹塗矢に姿を変えて川を流れ下り用便中の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に近づいて、美男子に姿を変えて結婚した」という伝説が記されています。

賀茂別雷命を神としてお祀りしたのが、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族でした。国史には賀茂祭の日の騎射を文武天皇が禁じたという記述があり、この頃から天皇家による賀茂神社(賀茂社)の信仰が厚くなったことが伺えます。天平勝宝2年(750年)には一町部の広さの田畑が朝廷から寄進されるなど、朝廷からの信仰も次第に厚くなります。

平安京の遷都の後は王城鎮護の神社としてさらなる信仰を集め、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階となり、伊勢神宮の斎宮にならって斎院が神社内に設けられ、皇女が斎王として神様に奉仕しました。

上賀茂神社の主な行事

武射神事 (1月16日)

幸在祭 (2月24日)

競馬会神事 (5月5日)

御阿礼神事 (5月12日)

葵祭 (5月15日)

烏相撲 (9月9日)

相嘗祭 (11月13日)

これらの行事に合わせて、観光を楽しむとよいでしょう。

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