風水と四神相応 日本風水編

風水と四神相応 日本風水編

中国から伝来した四神相応の考え方は、日本においても重要視されてきました。だからこそ平城京や平安京も、中国伝来の四神相応の地として選ばれ、都が築かれたのだといえます。風水の根本思想は、人の運気や暮らし向きのような小さなことばかりを対象とする占いの類いとは、一線を画します。風水のなかには、天下国家のあり方を論じる思想体系が組み込まれています。それは現代の言葉では、「哲学」と言ってもよい思想です。人がよりよく生きるために、それを支える天下国家もまた、宇宙の秩序に沿った理想の姿であるべきだと、風水は考えます。社会の構造が変わらなければ、個人の暮らし向きも変わることがありません。ならば天下国家を変えようと、意志を同じくする国士たちが集まり、風水は体系化されました。四神相応の地もまた、そうした人々の願いによって、人がより幸せに繁栄できる理想を追求した果てに、完成したものです。

日本風水の四神相応

日本風水ではどのような地を四神相応と定めたのか、実際のところは判明していません。平安時代後期に書かれた「作庭記」のなかの記述をもって、「山川道澤説」を日本風水での四神相応と定めるのが一般的ですが、では平安京や鎌倉・江戸が本当に山川道澤説にかなうように選ばれたのかどうかは、証拠がないため定かではありません。それらの都がおかれた土地に、後世から山川道澤説を当てはめてみると、比較的きれいに合致することから、山川道澤説が最有力であることはたしかですが、歴史研究家のなかには異なる意見も多々あります。
「作庭記」のなかでは、次のように記されています。
「家より東に流水あるを青竜とす。西に大道あるを白虎とす。南側に池あるを朱雀とす。北後にをか(丘)あるを玄武とす」
作庭記は単に庭の作り方を解説した書物のため、家を中心に論じています。この記述から山川道澤説が導かれました。つまり、東の青龍には河川があり、西の白虎には大きな道が延びており、南の朱雀には湖沼があり、北の玄武には丘陵や山がそびえている土地を、四神相応と定めたとする説です。
たとえば平城京は「平城之地、四禽叶図」と記されており、四神に該当する四禽(四つの動物)をもとに造られた都であることは明らかですが、山川道澤説の条件を満たしてはいません。平安京や鎌倉・江戸は、山川道澤説に合致しています。しかし、どこの山や川を四神相応に見立てたのかを示す書物は一切見つかっていないため、これついてもさまざまな学説が対立しています。
平安京では、北の玄武を船岡山、東の青龍を鴨川、西の白虎を山陰街道、南の朱雀を巨椋池とする説が、主流となっています。後世から見ると平安京以降の都のほとんどは、日本風水の山川道澤説を満たしつつ、中国風水の四神相応をも満たしていることになります。ちなみに豊臣秀吉が築いた大阪は、風水をまったく取り入れなかったため、長く栄えることがなかったといわれています。

自宅で四神相応!

四神相応を自宅に当てはめるには、大きな庭が必要となるため、住宅環境が劣悪な日本では難しいものがあります。もっとも簡単にできる四神相応は、青龍・白虎・朱雀・玄武の置物を、東西南北に設置することです。もうひとつ考えておきたいことは、四神相応の地が結局は環境的に考えても、人がもっとも快適に暮らせる条件にかなっていることです。北風が舞い込む北には、高い山があったほうが快適です。南を開けた地とすることで日当たりもよく、快適に暮らせます。つまるところ、あなたにとって快適に暮らせる家こそが、本当の意味での四神相応といえるのかもしれません。

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