「江戸は風水都市で霊的に守られてきた」というのはホント!

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江戸が当時の世界最大の都市であり、徳川家康によって開かれたことは誰でも知っています。でも、実際に江戸という一大都市の構想を描き、壮大なプロジェクトを指導した人の名は、案外知られていません。その人物とは、南光坊天海です。名前から察せられる通り、天海は僧正です。その生涯は謎に包まれており、さまざまな伝承が伝えられている謎の人物です。

織田信長の比叡山延暦寺の焼き打ちのあとうけ、延暦寺を建て直した僧正として天海は歴史の舞台に登場します。延暦寺と言えば天台宗です。天海は密教を極めており、陰陽道にも通じていたとされています。家康の命を受け、天海は江戸の街を大胆にデザインしました。その際に用いられたのが、風水です。

風水と聞くと家相など、住宅の間取りや方角や色に関する吉凶を思い浮かべる方が多いことでしょう。しかし本来の風水は、都市作りのためにこそ体系化されました。江戸にはどのような風水の術が施されているのでしょうか? 江戸と風水の謎について、まとめてみました。

江戸は四神対応の地

秀吉が家康の領地替えを命じ、徳川家が先祖代々培ってきた豊かな三河の地に代えて、荒涼たる関東を与えたのは、ひとえに家康の力を削ぐためでした。家康が江戸に着いてみると、そこはとんでもない荒れ地でした。太田道灌が築いた江戸城はあるものの、石垣とてなく、城の周りは見渡す限り湿地帯ばかりでした。

まして江戸は荒川・隅田川・江戸川の氾濫に度々悩まされ、ことに利根川の氾濫は人智を越えており、人が住める地とは到底思えない有り様でした。しかし、秀吉の命により、家康は江戸に街を築くより他に選択肢はなかったのです。

この荒涼たる大地をいかに人が住める街に変えることができるのか、家康の戦いがはじまりました。このとき、家康のブレーンとして、実際に江戸の街作りを陣頭指揮したのが南光坊天海です。天海は京都と同じように、江戸の街を風水を用いて作ることを提案しました。その際、用いられたのが風水の基本である四神対応です。

風水は元来、街作りの地相を判断するための学問でした。風水が大吉相と定めるのは、東に青龍の宿る川、西に白虎の宿る道、南に朱雀の宿る水、北に玄武の宿る山の四神に対応した土地です。中国の長安や日本の平安京も、この四神対応の地として選定されました。

四神対応を江戸に当てはめると、東に青龍の宿る平川、西に白虎の宿る東海道、南に朱雀の宿る江戸湾、北に玄武の宿る富士山が位置します。これをもって江戸城を中心に、四神対応の地として江戸のグランドデザインが決まったのです。

江戸に施された鬼門封じ

風水で都市を造る際に、日本では鬼門封じが重要とされました。鬼門は邪気が入ってくる忌まわしい方角であり、北東を意味します。裏鬼門は鬼門の正反対に位置しており、邪気が通り抜けてゆく道とされています。裏鬼門とは、南西の方位を意味します。

天海は何重にも鬼門封じを江戸の地に施しています。天海が住職を務めた上野の寛永寺をはじめ、家康を祀った上野東照宮、神田神社や浅草寺、日吉大社など、多くの神社仏閣を配置することで、邪気を封じたのです。江戸の三大祭りで知られる神田神社の神田祭と浅草寺の三社祭り、日吉神社の山王祭は、江戸城の鬼門と裏鬼門を祀り浄めるために行われた行事です。

江戸の街は天海によって、風水に基づいて作られました。だからこそ、とても人が住めるような状況になかった江戸が、百万を超える人々が暮らす世界最大の都市として、長らく繁栄の時を迎えたのです。

江戸の街を支えた風水は、現代の東京にも受け継がれています。

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