日本とコーヒー

金閣寺

16世紀、織田信長や豊臣秀吉の安土桃山時代にはスペイン、ポルトガル、イギリス、オランダの国々と南蛮貿易をしていました。しかし17世紀になり、江戸幕府3代将軍徳川家光によって第3次鎖国令が発布され、交易を許した国はオランダだけになりました。

南蛮貿易の頃になかったコーヒーを、日本に初めて持ち込んだのは、長崎の出島にいるオランダ人だということになります。

コーヒーを初めて飲んだ日本人

初めてコーヒーを飲んだ日本人は、出島のオランダ商館に出入りを許された役人や通詞や商人です。そして、日本人の女性で最初にコーヒーを飲んだのは、遊女たちでした。

オランダがコーヒーを交易品のひとつとして考えていたのは勿論ですが、出島に出入りしている人たちを除くと、どうやら日本人の口に合わないようでした。

例えば、1804年に太田蜀山人は『瓊浦又綴』の中で初のコーヒー飲用体験を「紅毛船にて「カウヒイ」といふものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり。焦げ臭くして味ふるに堪えず。」と記しています。

蜀山人は、天明記を代表する、文化人であり狂歌師ですが、1801年に長崎の奉行所に赴任していました。

実はドイツ人であったシーボルトは、1823年にオランダ人として来朝し、医者として長崎出島で開業し、また、日本研究者として「おたくさ=あじさい」を発見した人です。そのシーボルトは『江戸参府紀行』の中で日本人とコーヒーのことに触れています。

日本とオランダが交流して2世紀も経っているにも関わらず、「日本にコーヒーが流行しないのは不思議なことである」と驚いたシーボルトは、その対策として、「例えば、珈琲は長生きの為の良薬であって、特に日本の様な国でこそ保健剤として用いるべきだと推奨すればよい。」という「対日コーヒー販売論」を述べています。

このように、江戸時代にコーヒーを飲んだことのある日本人はほんのわずかでした。

明治時代のハイカラさん

コーヒーの舞台は、鎖国時代の黎明期には、長崎の出島でしたが、鎖国が解かれた江戸時代末期の舞台は、横浜でした。大型船で次々に多くの国の人たちがやってくる横浜の町は、外国人とための店ができ、そこへハイカラな日本人もやってきました。

日本初のコーヒーハウスは、パリのカフェを真似て文人や画家や俳優たちが芸術談義のできる場として、1911(明治44)年、画家の松山省三が、銀座に「カフェ・プランタン」を開業しました。当初は会員制で、会員に洋画家の黒田清輝、岸田劉生、作家の永井荷風、谷崎潤一郎、歌舞伎役者の市川左團など文化人がいました。

銀座に始まったカフェは、大正、昭和の初期まで繁栄していましたが、やがて日中戦争から第二次大戦になると、コーヒー豆の輸入は途絶えてしまいました。しばらくは、一般人にとってコーヒーの飲めない時代となります。

戦後のコーヒーブーム

再びコーヒーを飲むようになるのは、日本に駐留した米軍が影響しています。活気を取り戻したは、1960年頃からで、銀座ではシャンソン喫茶の「銀巴里」、ジャズ喫茶、そして皆で合唱しる「歌声喫茶」など特徴のある喫茶店が生まれました。

銀ブラには、「銀座をぶらぶら歩きする」が正しい語源ですが、洒落たカフェで「銀座でブラジルコーヒーを飲む」という解釈もあったようです。昭仁天皇が皇太子時代の大学生の頃に、学友と計画して、映画『ローマの休日』のワンシーンのような「銀ブラ」を試みたことがあるそうです。

まとめ

日本の喫茶文化も他の国々と同じで、コーヒーを飲みながら、ある時は芸術論に、ある時は談論風発の場となり、さらに一人の思索の時を過ごす場となりました。

そのような場であった街の喫茶店は減り、スタンド形式のコーヒーショップが増え、缶コーヒーも自動販売機やコンビニで簡単に飲めるようになりました。また、家庭でもコーヒーメーカーの普及で美味しいコーヒーが飲めるようになりました。

しかし、1杯のコーヒーへの思いは変わることなく同じかもしれません。

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